サウナでゴリラとTumblr
品格という言葉を使って朝青龍を責めていた人たちは、意地悪をしたくてあんなことを言っていたのではない。それはわかっている。
相撲を冒涜されたように感じて、それが悔しくて、「品格」を持ち出していたのだと思う。
彼らが共通して言及していたのは、朝青龍が「相撲を舐めていた」という一点についてだった。
たしかに、そういう面はあった。
というよりも、もう擁護しても手遅れだから率直に言ってしまうが、ドルジは相撲を舐めていたと思う。それもかなり真正面から。
「勝てば文句ないだろ?」
「要するにオレが強ければあんたらは黙るわけだろ?」
と、そういうふうにして朝青龍は周囲を黙らせてきた男だった。
で、品格派の人たちには、何よりそのことが心外だったのだ。「品格」は、言葉の綾みたいなものだ。それが二十代の若者に簡単に宿るものではないことぐらいは、彼らにだってわかっていたはずだ。
ただ、横綱が相撲を舐めているということを、彼らはどうしても許すことができなかった。
言い分は理解できる。私だって、40年来の大相撲ファンだ。相撲が舐められてうれしいはずがない。
でも、私には、相撲を舐めてかかった朝青龍の気持ちも、やっぱり少しだけわかる気がするのだ。
というのも、私自身、朝青龍と同じ年齢だった頃、「駒」として使われていた人間だからだ。
駒として利用されている人間は、「きれいごと」を信用しない。
むしろ、それを積極的に憎む。どうしてもそういう気持ちになるものなのだ。
現場を支えているのが外国人である一方で、首脳部には日本人しかいない。というのも、外国人は親方株を取得できない(←必然的に理事にもなれないし、引退後は協会にも残れない)決まりになっているからだ。
結局、大相撲の世界は、入り口では外国人に門戸を開放しておきながら、内部は開放していないのだ。道路側の門扉は開けても、庭から座敷への経路である玄関の扉は、依然として閉じたまま。そういうことだ。
と、必然的に外国人は使い捨てということになる。駒として使っておしまい。きつい待遇だ。
もっとも、「協会に残りたいのなら、帰化すれば良い」という言い方もできる。
が、土俵を開放した以上、部屋も開放するのがスジではないのだろうか。
逆に、親方株を外国人に渡さないのであれば、首尾一貫して土俵も国粋化すべきだ。
入門の段階から、「大相撲の土俵にあがりたいなら、まずその前に帰化しなさい」と、その方がわかりやすいではないか。
などと言う評論家やマスコミ人がおります。
ならはご質問申し上げたい、
そんな相撲取りがいつの時代にいたのか、
誰れのことなのでしょうかと。
年寄りの名跡を得るためには
二億とも三億ともの「大金」が必要とされております。
それらの金は全部脱税で集められたものです。
なぜならそんな大金は逆立ちしたって
給与と懸賞金だけで貯めれる金ではないからです。
それはすべて「ゴッつあんです」とひいき筋の
タニマチからの恵んでいただいた「お米」であります。
税務申告など誰れもしてこなかった「違法」な金です。
脱税をしないで相撲協会の「年寄」になったものなど
一人もおりません。日本一の脱税集団、
それが日本相撲協会なのであります。
「国技」などとはどこかのマスコミ人が勝手に付けた
「称号」であります。実態は冗談も休み休み言えの話
でございます。
先日、会議でやっぱりこういう「何でもいいから意見を出せ」ということになりましたが全員沈黙。
みんながあまりに自分に何かを言えと振ってきまして。
自分も見え見えの地雷をわざわざ踏むのは嫌なので、もう一個見え見えの地雷を皆様のために敷設。
自分「どんな意見でもいいんですね?」
進行「どんな意見でもいい。」
自分「どんな意見でもいいということで発言しますが、この会議の問題点は『どんな意見でもいい』と言っているのに、出された発言者の意見を全員で否定するので『どんな意見でもよくない』と結局なることです。」
自分「素人や初心者、部外者のピュアな視点からいろいろなものが見えてくるかもしれないのに、皆さんはなまじ経験者だから『これだから素人考えは』とか『ちょっと考えれば出来るわけがないだろう』と必ず否定する。」
自分「それじゃあ『どんな意見でもいい』ということにはならないんじゃないですか? ピュアな視点の吸い上げは出来ないんじゃないですか?」
周囲「それは違う、ちゃんと検討するべき事は検討する!」
周囲「実行力、実現力がある意見を言うべきだ!」
周囲「君は会社に入って何年目なんだ! 幼稚な意見を言うな!」
などなど周囲は自分の意見を否定する怒号の嵐。
そこで自分は進行の方を振り向いてひとこと。
自分「あれ? 『どんな意見でもいい』んじゃなかったんですかね?」
進行の人、やられたって顔をしてましたが
自分「結局こうなるんだから、誰も何も言わないのは当たり前でしょう? こんな会議をしてることこそが改善すべき点だと思いますけどね?」
そう言ったら周囲はさらなる怒号。
「どんな意見でもいいから言え」ってセリフは一見、斬新な考え方を取り入れるためのセリフに聞こえますが、実際の所は発言者を生け贄にしてみんなで血祭りにあげてスカッとしたいだけの言葉。
皆さんも経験がありませんか?
「何でもいいから言え」って言われて発言したら集中砲火を浴びたことが。
そんな見え見えの地雷を敷設してひっかかるヤツを待ってる会議ってのはいかがなものかねぇと思うのですが。
「どんな意見でもいいから言え」って言われたとき、沈黙を守り通して、なぜ発言しないのか訊かれて、「無言が私の発言です」って言ってみるのもありかもしれません。
なんと、Jailbreak無しでもFlashがiPhoneで再生できるプレイヤーが登場しました。
JavaScriptで書かれたオープンソースFlashプレイヤー「Gordon」は、FlashファイルをJavascriptを通してブラウザに指示することができるもの。このプレイヤーをページに組み込めば、iPhoneのSafariからFlashが見れてしまうということなんです。
そもそも僕は「働かざるもの食うべからず」という言葉が物凄く嫌いだ。僕は定職につかずにふらふらしているのでときどき「働かざるもの食うべからず」って説教されたりするんだけど、「働いている・頑張っている」と「食える・収入がある」の相関関係ってそんなにないよね、と思ってる。
大体お金持ちほど「一生懸命働くこととお金を得られるかどうかの関係はそんなにない、自分がお金持ってるのは与えられた境遇やたまたま運がよかったためだ」って思ってて、そんなにお金ないけど嫌々仕事をやってる人ほど「働かざるもの食うべからず、ニート死ね」って思ってるような気がする。しかし貧乏人が「働かざるもの食うべからず」とか言うのって、自分たちの首を絞めて社会を息苦しくしてるだけだと思うので、早くそういう考え方は滅亡してほしいですね。労働者がそういうモラルを持つことで喜ぶのって経営者だけだし。
お金を持ってるかどうかって、本人の努力とか勤勉さとは関係なく、生まれ育った環境だとか健康状態とか働き始めたときの景気だとか、その他いろいろの状況や運によって決まる部分が圧倒的に多いと思う。そもそも日本が経済的に発展したのだって別に日本人が勤勉だったからじゃなくて、たまたまアメリカの庇護の下でのんびり経済成長できたからだし。努力と成功を結びつけるのに意味はないと思います。むしろ無駄に人間を追い詰めるという意味で害悪だと思う。
金銭的に成功しても失敗しても、その人自身に完全に責任があるのではなかったら、お金がある人はある程度適当にお金をばらまくべきだし、お金がない人も最低限の生活は保証されるべきだと思う。だからベーシック・インカムはいいんじゃないかと思います。もちろんある程度金銭的な格差や競争は必要だと思うけど。





